器用貧乏の一種

先日撮った写真をわりと気に入っていて、とても色合いが良いなぁと思ってたんです。写真を見せながらそんなことを奥さんに言ってたら「これがなぜ良い配色と感じるのか。それはこの色とこの色が補色だからだ。」と。補色の意味をよくわかってなかったので「なるほどぉ」みたいな曖昧な返事をしたら「これまで感覚的に良い感じの配色をやってきてたと思うんだけど、色彩を学ぶと『なぜ良いと感じるのか』がわかって面白いよ。」と。ふぅむ。

これは配色だけの話ではないなと。いろんな場面でこのような事象にでくわす。何となく感覚的にいろんなことをそこそこやってきた。ただ感覚的にやっているだけで、それ以上深掘りはしない。それが僕なのだ。この浅さが自分でもわかっていて、課題として認識しているんだけど、なかなか深掘れない。どうしたらいいんだろうな。